えじゃないか、えじゃないか。

主に映画と競馬についての内容を。 競馬については、大穴狙いの重賞、狙いレース配信。 映画については、外れの映画をうまく引き当てれるような 見方について書いていきます。

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SNS戦争

「コミュニケーション」という観点から見ると、恐ろしい時代に突入しているのかもしれません。

先日、あるオンラインゲームのオフ会に2名で潜入取材をする機会がありました。
特殊なコミュニティな世界なので、濃厚な世界観は予想はしていましたが、会話や挙動を
観察しているうちに、他人ごとではなく知らず知らずのうちに日常で遭遇している、また身近にある
出来事と重なる部分を感じることがありました。
ネットの普及によってコミュニケーションの仕方は大きく変化してきているのか。まぁ語り尽くされた話題ではありますね。

オフ会の詳細はここでは伏せますが、大きく分けるとキーワードは
①「羞耻心の欠落」
②「二面性」
③「個人情報のニュース化」
です。

①は日常でも、感じる機会は多々あると思います。
例えばSNSの世界。特にフェイスブックですが、約束の取り付けや、飲み会の設定など
今まではメールでやり取りをしていたような内容が平然と、SNSの中でやり取りされていることを目にします。
便利な時代になったな、と一言で片付けてしまえばそれまでですが、一方では
「他の人に知られて恥ずかしくないのか」という疑問も見逃せないと思います。
ずいぶん前の話しになりますが、昔AV監督と売れっ子ソープ嬢に話しを聞いたこと際に
「最もエロを引き立てるものは何だと思いますか?」と同じ質問をしたことがあります。
少し間を置いた後、返ってきたのは「羞恥心」という言葉でした。

下世話な話しですが、SNS上で先述したようなやり取りをみると「この人は情緒や探究心に欠ける人間なのかな」
と多分な偏見は否定できませんが、個人的には少し残念な心持ちに追い込まれます。

②については、
”オンラインゲームのオフ会”という非日常な設定と限定された母集団ということもあると思いますが、
ネットが生活の中で占めるウエイトが大きくなり、ネット上と日常という2つの軸の中で、2つの人格を持つ人の数が増えていると思います。
一般論で言うと人間は多面性を持つ生き物ですから、そんな部分も含めて尊重しろ、と言われればそこまでですが、
ここで問題にしたいのは、対人のコミュニケーションに歪みが生まれているのではないか、という点です。
もう1つこじつけるなら、発言や思考に重みが希薄化され、責任という言葉を実感する機会を奪っている一因にもなっていると考えることもでかもしれません。

ネット上で博識を披露しようと、攻撃的であろうと特に問題ではないと思います。ただ情報を受けて、評価をする側の観察眼が鈍りその絶対数が増えることは非常に大きな問題です。
今回オフ会に参加したのも、オンラインやSNSの世界で知り合って、結婚に至るケースが増えているというネタを聞いたことと、私が大変お世話になって人も、某超有名ゲームのオンライン上で知り合い2ヶ月で結婚するという事態に遭遇し、私的にどうしても知りたかったことがあったからです。それが「情報の正確性」です。もっと端的に言えば嘘をついているか、どうかということです。
こちらも詳細は省きますが結論から述べると「情報の正確性の可否」という点については相対的なレベルが下がっているのではないか、というのが個人的な意見です。

ネット上では饒舌だったのに、実際に会ってみると沈黙の時間が多い。悪いことではないです。ただ、コミュニケーションを取ろうとする意志の有無は、大切なポイントかと思います。人物の多面性というのは、自分で発信・配信するものではなく、相手に見つけてもらうからこそ面白いものだと思うのですが・・・問題の根源は、SNSも含めてネット上という世界を「オフィシャル」と捉える人が増加していることでしょうか。日常と乖離された世界、とはっきりと区分して考えれれば面白いことこの上ないでしょうが、だとすればハマる人は少ないですかね。


③についてが、自分のとっては1番大きな弊害となっています。
ここまで、つらつらとSNSの問題点を挙げてきましたが、もちろん素晴らしい点も存在します。
例えばニュースの取捨選択が楽になったこと、情報の正確性は抜きにしてもなかなか知ることができない地域、国、組織の情報を目にする機会が増えたことです。特に海外メデイアの情報は気軽に触れることができるようになりました。
著名人と直接やり取りできる可能性があったり、マスコミ関係の仕事の人にとっては、ツールにより切り口が増加しているという点も同様でしょう。だからSNSに参加しない、ということは個人的にはあまり良い選択肢ではありません。

ただ一方で、非常に残念なやり取りを強いられることもあります。
それが自分のアップロードやツイートをまるでニュースのように捉えている人が増えているのではないか、ということです。
「フェイスブックで、twitterで」とこちらが見ている前提で話しを進めてくる人もいます。
付け加えると、何で私、俺、〇〇の投稿を見てないの、とまるでテレビや映画やニュースと同等の価値があるかのような
話しぶりで話す人がいることには驚かされます。仮説ですが、こういう発言は極めて自分の価値を高く見積もっているから
こそ可能な発言かと思いますが、受ける側は必要以上に「チェックをしないと」と心理的プレッシャーを受けることになります

個人的な頻度を述べると、じっくりSNSを見るのが3日に1回程度、1日に1回流し見する程度のSNSで、チャット機能を除けばコミュニケーションを取る機会もそう多くはありません。個人差はあるでしょうが、これは個人の裁量で決めていいはずです。あまりSNSに固執したくない理由としては、実際に会う、経験するという楽しさを超えるとはどうしても思えないからです。

個人のトピックスがニュース化され、それを敏感に感じとらないとコミュニケーションの仕方が変化してくる・・・
恐ろしいですし、歪んだ思考だと思います。だったらSNSをヤメろ、というのは少し安易な気もします。

さて、ここからが本題です。
今回ある種特殊なコミュニティを例に挙げてきましたが、仮に特殊と一般とカテゴライズするなら、その垣根は少しずつ小さなくなっていると思います。可能にしたのは、SNSの存在です。コミュニケーションの仕方は時代と共に変化するもの、それは正しいでし、歩み寄る必要もあるでしょう。
しかし、対人コミュニケーションは時間を掛けて、回数を重ねることによって始めて高いレベルで成立するものです。

もちろん1度成立しても、関係性は崩壊することもあります。頻度も多く、濃厚な密度を誇ってもです。
いくつかパターンはあると思いますが、自分のケースを例に挙げて紹介したいと思います。

1.約束を放棄するという行為を重ねる
これは完全に個人責任です。厳密に言えば、人と会うという目的に至るまでにはいくつかの行程を重ねる必要がありますがその行程を途中で諦める、放棄するということです。
連絡をもらうor連絡をする⇒時間や日付を確定する⇒再確認⇒会う この行程を経て、目的に近づきます。
しかし、例えば連絡をもらっても、様々な事情で連絡を返す時間が遅れる、次の日に連絡をもらう、日付を確定する
この途中で、連絡をし忘れたり、煩わしくなり放棄する。また、約束を取り付けても急な仕事や、外せない用事が入ることも多々あります。電話一本で、今日どう??というやり取りができる関係性がある人が対象であればいいのですが、そうでないケースの場合に関係の修復が非常に困難な場合もあります。そして、連絡約束の不成立が2~4回続いた場合、だいたいは疎遠となっていきます。

救いは、1に関しては仕方ない部分もあるということで共感してくれる人も多く、特に就業時間が長い人達や、土・日・祝日が休日でない人達は理解があるので見逃してくれることもあるということです。

2.自分を抑えこめずに暴走していまうケース
これは今までの人生の中で何度も経験していますが、一向の改善されません。
先述した大変お世話になった人の結婚式に呼ばれた際、二次会でやたらと軽いノリの不快なバカ騒ぎをする集団がいました。祝いの席や、式典は恥ずかしいことと、テンションを上げないといけない、という義務感から、メインイベントの前からアルコールを大量摂取してしまいます。
酩酊状態だったこともあり、絡まれたことをキッカケに揉めてしまい、ブレーキの効かなかった私は喧嘩をしてしまい、
空気を最悪なものに一変させ、颯爽と帰宅しました。帰り道では「またやってしまった」という後悔の念と、結婚式には2度と参加しないと決意しました。

ただ結婚したお世話になっている先輩は、非常にできた人物で、そんな私に何度も連絡をくれて「何かあったの」と心配してくれました。ここは素直に「すいませんでした」と謝りをいれて、連絡を返せば万事OKなのですが、あんな失態を晒しておいて一体どの面を下げて謝ればいいのか、という都合のよい解釈が勝り、今だに先輩に連絡は返せていません。
まぁ頭で意識して、変えれるような性格ならここまで苦労していませんし、なかなか変わるということは難しい行為です。


つまり、日常の中でもコミュニケーションに悩まされる機会は溢れかえっているのです。
これは私だけもののはずではなく、大なり小なりコミュニケーションで悩まされているということは耳にします。
心の底から思うのは、実生活のコミュニケーションだけでも精一杯なのに、これ以上気を取られる可能性が増えたり、
ツールが増えることが一般化され、半ば強制的に暗黙のルールに参加しないといけないような世風は勘弁していただきたく、誰かが声を荒らげて、反対や間違っているということを主張していく必要性を感じているのです。

そうでないと、世知辛くなる人達が増える一方で、歯止めをかける意味でも、強力なストッパーの出現を”無責任にも”期待してしまうのです。
結論:必要に求めすぎたり、複雑化しすぎると良い方向に転ばない
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  1. 2014/05/18(日) 09:52:39|
  2. その他
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マルチナ・ヒンギスに見る女性の気骨。

ヒンギス

プロ、アマ。メジャー、マイナー。男女問わずスポーツが好きだ。
その点に関しては中学時代から変わらない。
サッカー、野球、ボクシング、バレー、テニス、競馬と数多のスポーツの中で、
女子スポーツに関してはテニスに1番魅せられてきた。
嬉しいニュースを本日の読売新聞で見た。9月の東レPROにマルチナ・ヒンギスが来日するようだ。

16歳で世界ランキング1位を達成した早熟の天才。
年齢を感じさせない完成された試合運び。相手を嘲笑うかのようなドロップショット。
緻密に計算された精密機械のようなスタイルは、見るものを魅了した。
しかし、パワーテニス全盛の時代を迎え、ヒンギスのプレースタイルは時代に取り残されていく。
23歳の若さで2003年に引退を表明した。

2006年に復帰し、2007年に全豪オープンで見せた従来の頭脳的なテニスに攻撃性と力強さが
加わったヒンギスを見て、当時大学生だった自分は妙に高揚したことを覚えている。
その後、コカインの陽性反応を理由に再度引退。そんなヒンギスが先日復帰を表明し、日本にやってくる。

ヒンギスのインタビュー記事を読み返すと、短くまとめられて言葉の中に彼女の気骨に触れることができる。
「勝ちたいと思う意思。これが私の強みです。」

言葉の重み。受け手として大切なことは想像力を働かせること。ヒンギスが紡ぐ言葉の数々に教えられた。
16歳から天才と呼ばれ続け、選手としては絶頂期に引退。そして2度のカムバック。想像を絶する精神力と
側で支える人達の存在があってこその復帰だろう。葛藤を乗り越えたヒンギスを生で見てみたい。ふと、そんな衝動にかられる。

根底にある、「テニスが好きで、好きでたまらない」というシンプルな発送をいかに突き詰めていくか。
年齢を重ねるごとに、「それなりに好き。まあいいか。」という妥協する場面は多くなるのだろうと日々実感している。それは対人でも、仕事でも。その中で、頑として自分を貫き通すことはしんどい。
ただ、同時に思う。「毒にも薬にもならないような人間になったら、生きていく価値を見いだせるのか。」と。
そういう意思が、人のために、大きく分けては社会貢献に繋がるのか。
そう自分が感じるようになった時、すべてを辞めて東南アジア辺りのビーチで隠居生活を送りたいと思う。

岐路に立たされた時。自分を貫くか、どうか、というシンプルな意思の強さが、1cm、1mmの差を分ける。その差が勝者と敗者を分ける。それは日常でも同様であるように思う。
伝える者としては、その1cm、1mmの背景にあるものに想像力を働かせる存在でありたいと思う。
「なぜ?」を病的なまでに追求したい。

中学時代。映画好きの友人達は、こぞってキャメロンディアスやメグ・ライアンが好きだと言っていたが、
当時からヒンギスが好きと譲らなかった。随分と変人扱いされたが、今思い返してみるとその点だけに関してはハイセンスだったと誇れる。

2度の婚約破棄、離婚が影響してか、今では言葉に丸みが帯びたように思う。
「ファッション誌と恋愛話しばかりしている、その辺のスカスカな生娘とはワケが違うのよ。」
そんな言葉が聞こえてきそうな、傲慢ささえを感じさせる態度が懐かしい。凛として毅然。”女性”アスリートとして、久しく華があるプレーヤーを見ていない気がする。シャラポアじゃだめなんです。
やっぱり、東京まで見に行こうかと、昔のNumberを読み返す。


  1. 2013/09/06(金) 00:05:17|
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AKB考察。(主に大島優子)

始めに断っておきたいのは今回極めて恣意的な内容となるということで、その点だけ先に述べさせてもらいたい。

ほんの2ヶ月前まで、AKB48についての自分の知識は、ヤングジャンプやヤングマガジン、スピリッツなどの青年誌または週刊誌で見るグラビア程度の知識で、知っているメンバーも5人程度、ぱるること島崎遥香のタレ目がいいな、と思う位で全く興味を示したことがなかった。

約1ヶ月半ほどの南米旅行中に仲が良くなった日本人でAKBヲタの人達と何人か会い、4時間にも及ぶAKB講座を
3日受講してきた。自分の好きな事柄を4時間も赤の他人に話せる、パーソナリティにも驚いたが、
更に自分を驚かせたのは、AKBファンの実態であった。詳しくは省くが、いわゆる推しメン、と呼ばれる
好きなメンバーに対する愛情に驚愕した。
人気どころで言うと、柏木由紀、島崎 遥香、小嶋陽菜、松井 玲奈などでわざわざ動画を見ながら
解説が入ったので、否が応でも詳しくなったが動画を見て面白い、と思うことは一切なかった。

そんな時、ナイナイ岡村のラジオで大島優子のことを、「プロ意識の高い本当にいい子」という話しを耳にし、
少し興味を持って動画を検索してみた。

http://www.youtube.com/watch?v=7vT8cYEgH20&list=PLC3F0E51E5B4B50B2

http://www.youtube.com/watch?v=X0elqUZGOiE

http://www.youtube.com/watch?v=MLIH3jDRnLI

見てもらえれば少しは理解してもらえるかと。


そこで感想。大島優子は非常に面白いアイドルだな、と正直ファンになってしまった。頭の回転が早く、自分が求められているものより1歩深いエンターテイメントを視聴者に提供する。行動も思想もかなり飛んでいる。
ルックス的には自分は特に惹かれるところがなく、一般的に見ても篠田麻里子や小嶋陽菜辺りと比べると美形という類には入らないように思う。ただそこがより自分にとっては魅力的に思え、一緒に飲んだら非常に楽しいだろうな、と上記の分析に添えてボソッと友人に漏らしたことがありその際に「お前もAKB好きの一員だ」などと言われて
複雑な心境。
断っておきたいのは、AKB事態には特別な感情は皆無だが、大島優子のファンではありたいと思う。
映画「苦役列車」を見て感じたが、あっちゃんこと前田敦子もほとんど見たことがなかったが、非常に画面に映える女性だな、と贔屓目なしに感じた。こういう女優さんは、実はいそうであまりいないように個人的には思うし、
AKB48のトップになる、スペシャルな部分があるからこそで、上記の2人は確かにスペシャルを感じた。だからこそ大人数を惹きつけるし、そこに対して自分の一時的な経験を拠り所にした色眼鏡ブリブリの的外れな批判は一切の意味を持たない。

ちなみに自分はおぎやはぎの小木と、バナナマンの日村が中堅芸人(くくりの正確性は別にして)でセンス的には
抜けていると思っており、大好きだ。

上記の2人の大島優子評を以下にに紹介したい。

日村:「大島優子が大好き。写真集も買って、なんか土管から出てくるところが一番かわいいのよ」(共同通信より)ちなみに日村は、大島優子の顔マネをネタにするくらいファンとのこと。

小木:「大島優子はそんな感じだな、いい子なんだよね。いい子っていうかぁ、なんか凄い話しやすい」(おぎやはぎのメガネびいきより)

番組では、大島優子をセンターの器ではないと言っていたが、それは大島優子のアイドルとしてのスキルと対応を信用しているからで、芸人として番組を面白くする、という目的の中で生まれた大島優子への信頼であったと、個人的には解釈している。ちなみに小木は吉高由里子が好きとのこと。


そんな大島優子が現在の選挙で、3位に転落しているとのことで、自分としては断腸の思いだ。非常にがっくりしている。そんな今回の内容が、大島優子が1位に返り咲くための少しでも援護射撃になればこの上なく嬉しい。
こんな面白い女の人、見れなくなるのは非常に残念なので。

最後に同じAKBつながりで、小木と小嶋陽菜の動画が面白かったので下記に。
http://www.youtube.com/watch?v=biSQBmZzVLs

http://www.youtube.com/watch?v=vIFS457LL3g





  1. 2013/05/25(土) 22:21:39|
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