えじゃないか、えじゃないか。

主に映画と競馬についての内容を。 競馬については、大穴狙いの重賞、狙いレース配信。 映画については、外れの映画をうまく引き当てれるような 見方について書いていきます。

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泣いて馬謖を斬る、の心境とは。



「泣いて馬謖を斬る」ということわざがある。
三国志時代に、蜀の軍師である諸葛亮孔明が、溺愛していた弟子である馬謖を造反を理由に泣く泣く処分したことから、
『情として処分するに惜しい人物であっても、違反があったときには全体の統制を保つために処分する』という意味を持つ。

最近、非常に残念ながらこのことわざに”ピタリ”と当てはまる出来事に遭遇してしまった。

本題に入る前に、私という人間に掛けられてきた言葉の中で最も多いのが「人との距離の置き方、警戒心」についてである。その種の発言を向けられる度に、自分の辿ってきた人生をなぞるのだが、原体験は中学3年生の部活を引退してからの数ヶ月にあるように感じている。

田舎に生まれ、限られた人達の中で育ってきたので、異性を異性として意識するようになったのが遅かった。
これは今も付き合いのある地元の仲の良い男友達も含め、同様であったと思う。だから男女、先輩後輩あまり別け隔てなく人と接する機会が多かったように記憶している。
15歳の夏は部活を引退して学力的にも志望校に届かない、というわけでもなかったので、友人達と遊ぶ楽しさを覚え異性を意識し始めた年齢である。


夏休み明けに、当時クラスの委員長だった私は、全校集会の最中に最前列で、自クラスと隣のクラスの女子の委員長にどういうタイプが好きなのか尋ねられた。適当にあしらっていると、かなりこと細かく、じゃあ「誰々は?」と具体的な名前を出して20人以上の答えを求められた。
今思い返せばかなりアホらしい話しなのだが、当時は調子にのってちゃんと聞かれた人物すべてに対して、タイプかタイプじゃないかを返答した。


翌日以降、約2ヶ月間にも渡り、学校中の9割以上の女子に無視される日々がスタートした。
理由は学年で1番権力が集中していた女子を、自分がタイプではない、と断言したことが逆鱗に触れたことと、
一体何様なのか、と純粋に質問に答えていた内容は自クラスの委員長から、権力が集中していた女子に告げ口された。

自分で言うのは気が引けるが、程度がひどくなければあまりあと腐れがない性格である。だから、告げ口をしてきた女子に恨みを持ったワケでもない。

その後の経過はどうなったか。結論から言えば、2ヶ月間後にはその厳重な無視体制は解除される。更に言えば、集会で隣りにいた隣のクラスの委員長に告白され、私自身は”無視指令”を出していた女子に対して告白をし、26年間の短い人生の中で唯一告白した日本人女性として記憶に残り続けているのだから人生は時に皮肉で面白いものであると思う。(結果は見事に玉砕)
ちなみに見事に玉砕した女子とは、同じ高校の通うことになり、部活終了後にほとんど毎日一緒に帰宅することになり、いろいろと助けてもらったことも多い。


私が上記の経験を経て1番違和感を感じたことは、上述した”当事者同士”ではなく、事情を人づてに聞いただけのはずの部外者の反応についてである。
昨日まで普通に話していた人物達が、急に一斉に無視を決め込まれ、更には私と話すことで女子に嫌われることを危惧したのか、男子の中にも翌日から露骨に態度を変えてきた者もいた。

少し話はそれるが、私は野球が好きで、特に中日ドラゴンズを応援している。ドラゴンズを語る上で、落合博満氏の存在は外すことができない。落合博満現GMは、著書「采配」の中で概ね以下のような内容の記述がある。

「日本社会はまだプロフェッショナル、という概念より情が優先されることがある。情が大切なのは、当然でそれに関しては大きく同意する。だが、情を優先することで時にプロフェッショナルな選手達にとって失礼な対応をする機会も見かける。だから、責任の所在が曖昧なままグレーな部分を認めてしまっていることが多いし、それは良くない傾向である」

私事で恐縮だが、会社員時代の私は人格はさておき、代理店の社員という点で言えば社長や副社長からスーパー新人との評価を受けて溺愛され、大規模なプロジェクトも任された。
ただ、今でもそうだが一度も自分の仕事のレベルが高いと思ったことはなく、言い方は悪いが周りのレベルが高くなかっただけだと思っている。
入社1年目の経験のない私が活躍できるのだから、そう思うほうが自然である。

みんなが終電間際で帰っているのを傍目に、私は遅くても8時には帰宅していたし、会社の懇親会という名のもとの飲み会や、先輩からの誘い、研修にも理由をつけて、ほとんど欠席した。
当然ながら面白くないと思っていた社員もいただろうが、直属の上司ができた人でそんな声もすべてかき消してくれていたようだ。だが、当時私が所属していた営業所のトップ2人が長いものには巻かれろ、といった精神の持ち主で私のそういった態度を上司の管理不足、という評価を与えていたようで、上司は減給処分を受けていた、と後で別の先輩から聞かされた。


今振り返ると、行動が正しかったかどうかはわからない。が、とにかくそのトップ2人と話しをする機会があり、そのことを問いただしていけば、
今日限りで解雇、という話しを私に突きつけられた。(理由はそれだけではないが)ほとんど脅迫に近く、親の育て方についてまで言及してきた。
当然ながら反発して、不当解雇といった話しを社労士と弁護士に相談し、労働基準局にも駆け込んだ。
結果、私の要求はすべて受け入れられることになり、私が退職したということで、トップのうちの1人は責任問題で副社長から管理者責任を問われ、解雇されたと後に知らされた。その際に感じたのは、組織というのはグレーな部分が多いということと、あまり大きな規模の組織で自分が所属することは、今後は自分の資質を考えれば難しいかもしれない、という2点である。


こう書くと忘却無人な人柄に聞こえるかもしれないが、仕事上の人付き合いに関しては誰よりも気を使って、また常に吸収しようと意識していたつもりだ。
ただ、最後まで引っかかっていたのが、上司を減給処分にさせてしまったことだが、今でも付き合いをしてもらっている。
私が気分良く仕事に打ち込むことができたのは、更に言えば仕事に対する考え方を教えこまれたのもその上司のおかげなので、非常に感謝しているし、そういった環境を与えられた私は様々な組織の内情を知るようになった今では、非常に幸運な部類に属していたのだな、としみじみ思う。


もちろん私自身も自分に非があるということは認めているし(中学時代の話しに関しては実際はそんなに悪いとは思っていないが)普通に接してくれた人も少数だがいた。今も付き合いがいるのは、ほとんどがそういったマイノリティの人達だ。
ただ、自分の意志のなさ、身の保身に走る姿を否応なしに見せつけられ、集団の気質に触れられたことは後の人生に役だった。
そして、話す内容と、話す人は選ばないといけないということ、信頼できる人か、どうかの選定を意識的に行うようになり、
特に女性に話す内容には細心の注意を払う必要があるということを深く認識した。

この考え方、人格形成については、仕事面では非常に役だっているが、プライベートではかなりマイナスに働くことも多く、結果トントンといったところか。

前置きが長くなったが、そういった視点からも私の性格に関する根源は根深いものがあり、残念ながら今も大きくな変化はない。

本題に入るが、自分が携わっている職場で大学を中退し、22歳ながらメキメキと力をつけた女性社員がいた。
見た目はほとんど男性のようだが、他のすべてを投げだし仕事に打ち込む姿勢と、何より自分のわからないことは
何でも質問する積極性、自分の理解できないこと、”わからない魅力”も楽しめる感性の持ち主で、私もよく人を紹介したり、飯を馳走したりするなど可愛がっていた。上述した2つの経験を経た私にとって、これは非常に珍しいケースなのかもしれない。


技術的な部分は教えれないし、私にそんな器量もなく、教える気もない。理由は、私も人から何かを教わる際は、基礎を除けば、技術的な部分や物事の進め方を細かく教わったことはないし、恐らくそういった方法論は人の成長を妨げると考えているからだ。
私自身はいろいろな人から自分が考える環境を整備して、与えてもらったし、酒の飲み方、遊び方といった生活面の充実の仕方まで教えてもらった。
だからこそ、時間をかけて物事の考え方、捉え方などを押し付けがましくないように注意しながら話してきたつもりだったのだが・・・


しかしである。そんな女性社員が、人間2人を自殺に追い込んでもおかしくない金額を横領していたことが発覚した。
昨年度も別社で同じようなケースがあったが、その際は対象が40代男性ということもあり、私も躊躇なく証拠を集め、
警察と弁護士に相談し、無事に解決した。それでも、人の家に張り付いたり、家族関係の洗い直し、昔の勤務先や取引先の証言をとる、というような、いわゆる記者で言うところの”裏とり”作業は決して気持ちのいいものではない。
それに探偵でも警察でもない素人の私にできる範囲は限られている。


今回のケースで悪質なのは、私のような独身者だけならまだしも、その女性社員を庇って決して少なくない金額を既婚の男性社員がその女子社員の疑いを晴らすために負担しあったにも関わらず、その1ヶ月後には再度手法を変えて横領をしていたことだ。
私を含め、男性社員一同が感じないといけないことは多分にあることは明白である。
私が最も自分の力の無さを実感したのは、それだけ仕事に対して重きを置いていた自分より5歳も年下の身近にいた若い女性が、お金に対して、間違った価値観を植え付ける一因があった行動があったかもしれない、という点に尽きる。

お金の使い道も含め、ここでは記載できないような内容がほとんどだか、重い実刑判決と逮捕は免れないだろう。
刑を全うして、社会復帰できたとしてもまともな人生は歩むことは難しいかもしれない。


泣いて馬謖を斬る、とはよく言ったもので、今回後処理をしなければいけないという、私の心境は先述した中3時、会社員時代よりもはるかに複雑である。
ただ今回のことで、その女性社員を嫌いになるという心境でもない。女性と男性では遺伝子が違うので、捉え方や感性も完全に異なる。

加えて言えば自分を含め、その女性社員に関わる人間的な魅力が充分でなかったこと、組織としての在り方、管理にも問題の根底にある。
意識をコントロールしてそう思い込むことで、何とか前向きな姿勢を保つことができるのかもしれない。それが私自身の彼女に対する贖罪でもある。

それにしても「大蛇を見るとも女を見るな」という言葉があるが、言い得て妙だな、と。自分が思う”正論”を人に話さざる得ない状況が続くと心を病む、という話しを聞いたことがありますが、しばらくはそんな余談の許されない状況が続きそうです。







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  1. 2014/07/26(土) 22:49:04|
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SNS戦争

「コミュニケーション」という観点から見ると、恐ろしい時代に突入しているのかもしれません。

先日、あるオンラインゲームのオフ会に2名で潜入取材をする機会がありました。
特殊なコミュニティな世界なので、濃厚な世界観は予想はしていましたが、会話や挙動を
観察しているうちに、他人ごとではなく知らず知らずのうちに日常で遭遇している、また身近にある
出来事と重なる部分を感じることがありました。
ネットの普及によってコミュニケーションの仕方は大きく変化してきているのか。まぁ語り尽くされた話題ではありますね。

オフ会の詳細はここでは伏せますが、大きく分けるとキーワードは
①「羞耻心の欠落」
②「二面性」
③「個人情報のニュース化」
です。

①は日常でも、感じる機会は多々あると思います。
例えばSNSの世界。特にフェイスブックですが、約束の取り付けや、飲み会の設定など
今まではメールでやり取りをしていたような内容が平然と、SNSの中でやり取りされていることを目にします。
便利な時代になったな、と一言で片付けてしまえばそれまでですが、一方では
「他の人に知られて恥ずかしくないのか」という疑問も見逃せないと思います。
ずいぶん前の話しになりますが、昔AV監督と売れっ子ソープ嬢に話しを聞いたこと際に
「最もエロを引き立てるものは何だと思いますか?」と同じ質問をしたことがあります。
少し間を置いた後、返ってきたのは「羞恥心」という言葉でした。

下世話な話しですが、SNS上で先述したようなやり取りをみると「この人は情緒や探究心に欠ける人間なのかな」
と多分な偏見は否定できませんが、個人的には少し残念な心持ちに追い込まれます。

②については、
”オンラインゲームのオフ会”という非日常な設定と限定された母集団ということもあると思いますが、
ネットが生活の中で占めるウエイトが大きくなり、ネット上と日常という2つの軸の中で、2つの人格を持つ人の数が増えていると思います。
一般論で言うと人間は多面性を持つ生き物ですから、そんな部分も含めて尊重しろ、と言われればそこまでですが、
ここで問題にしたいのは、対人のコミュニケーションに歪みが生まれているのではないか、という点です。
もう1つこじつけるなら、発言や思考に重みが希薄化され、責任という言葉を実感する機会を奪っている一因にもなっていると考えることもでかもしれません。

ネット上で博識を披露しようと、攻撃的であろうと特に問題ではないと思います。ただ情報を受けて、評価をする側の観察眼が鈍りその絶対数が増えることは非常に大きな問題です。
今回オフ会に参加したのも、オンラインやSNSの世界で知り合って、結婚に至るケースが増えているというネタを聞いたことと、私が大変お世話になって人も、某超有名ゲームのオンライン上で知り合い2ヶ月で結婚するという事態に遭遇し、私的にどうしても知りたかったことがあったからです。それが「情報の正確性」です。もっと端的に言えば嘘をついているか、どうかということです。
こちらも詳細は省きますが結論から述べると「情報の正確性の可否」という点については相対的なレベルが下がっているのではないか、というのが個人的な意見です。

ネット上では饒舌だったのに、実際に会ってみると沈黙の時間が多い。悪いことではないです。ただ、コミュニケーションを取ろうとする意志の有無は、大切なポイントかと思います。人物の多面性というのは、自分で発信・配信するものではなく、相手に見つけてもらうからこそ面白いものだと思うのですが・・・問題の根源は、SNSも含めてネット上という世界を「オフィシャル」と捉える人が増加していることでしょうか。日常と乖離された世界、とはっきりと区分して考えれれば面白いことこの上ないでしょうが、だとすればハマる人は少ないですかね。


③についてが、自分のとっては1番大きな弊害となっています。
ここまで、つらつらとSNSの問題点を挙げてきましたが、もちろん素晴らしい点も存在します。
例えばニュースの取捨選択が楽になったこと、情報の正確性は抜きにしてもなかなか知ることができない地域、国、組織の情報を目にする機会が増えたことです。特に海外メデイアの情報は気軽に触れることができるようになりました。
著名人と直接やり取りできる可能性があったり、マスコミ関係の仕事の人にとっては、ツールにより切り口が増加しているという点も同様でしょう。だからSNSに参加しない、ということは個人的にはあまり良い選択肢ではありません。

ただ一方で、非常に残念なやり取りを強いられることもあります。
それが自分のアップロードやツイートをまるでニュースのように捉えている人が増えているのではないか、ということです。
「フェイスブックで、twitterで」とこちらが見ている前提で話しを進めてくる人もいます。
付け加えると、何で私、俺、〇〇の投稿を見てないの、とまるでテレビや映画やニュースと同等の価値があるかのような
話しぶりで話す人がいることには驚かされます。仮説ですが、こういう発言は極めて自分の価値を高く見積もっているから
こそ可能な発言かと思いますが、受ける側は必要以上に「チェックをしないと」と心理的プレッシャーを受けることになります

個人的な頻度を述べると、じっくりSNSを見るのが3日に1回程度、1日に1回流し見する程度のSNSで、チャット機能を除けばコミュニケーションを取る機会もそう多くはありません。個人差はあるでしょうが、これは個人の裁量で決めていいはずです。あまりSNSに固執したくない理由としては、実際に会う、経験するという楽しさを超えるとはどうしても思えないからです。

個人のトピックスがニュース化され、それを敏感に感じとらないとコミュニケーションの仕方が変化してくる・・・
恐ろしいですし、歪んだ思考だと思います。だったらSNSをヤメろ、というのは少し安易な気もします。

さて、ここからが本題です。
今回ある種特殊なコミュニティを例に挙げてきましたが、仮に特殊と一般とカテゴライズするなら、その垣根は少しずつ小さなくなっていると思います。可能にしたのは、SNSの存在です。コミュニケーションの仕方は時代と共に変化するもの、それは正しいでし、歩み寄る必要もあるでしょう。
しかし、対人コミュニケーションは時間を掛けて、回数を重ねることによって始めて高いレベルで成立するものです。

もちろん1度成立しても、関係性は崩壊することもあります。頻度も多く、濃厚な密度を誇ってもです。
いくつかパターンはあると思いますが、自分のケースを例に挙げて紹介したいと思います。

1.約束を放棄するという行為を重ねる
これは完全に個人責任です。厳密に言えば、人と会うという目的に至るまでにはいくつかの行程を重ねる必要がありますがその行程を途中で諦める、放棄するということです。
連絡をもらうor連絡をする⇒時間や日付を確定する⇒再確認⇒会う この行程を経て、目的に近づきます。
しかし、例えば連絡をもらっても、様々な事情で連絡を返す時間が遅れる、次の日に連絡をもらう、日付を確定する
この途中で、連絡をし忘れたり、煩わしくなり放棄する。また、約束を取り付けても急な仕事や、外せない用事が入ることも多々あります。電話一本で、今日どう??というやり取りができる関係性がある人が対象であればいいのですが、そうでないケースの場合に関係の修復が非常に困難な場合もあります。そして、連絡約束の不成立が2~4回続いた場合、だいたいは疎遠となっていきます。

救いは、1に関しては仕方ない部分もあるということで共感してくれる人も多く、特に就業時間が長い人達や、土・日・祝日が休日でない人達は理解があるので見逃してくれることもあるということです。

2.自分を抑えこめずに暴走していまうケース
これは今までの人生の中で何度も経験していますが、一向の改善されません。
先述した大変お世話になった人の結婚式に呼ばれた際、二次会でやたらと軽いノリの不快なバカ騒ぎをする集団がいました。祝いの席や、式典は恥ずかしいことと、テンションを上げないといけない、という義務感から、メインイベントの前からアルコールを大量摂取してしまいます。
酩酊状態だったこともあり、絡まれたことをキッカケに揉めてしまい、ブレーキの効かなかった私は喧嘩をしてしまい、
空気を最悪なものに一変させ、颯爽と帰宅しました。帰り道では「またやってしまった」という後悔の念と、結婚式には2度と参加しないと決意しました。

ただ結婚したお世話になっている先輩は、非常にできた人物で、そんな私に何度も連絡をくれて「何かあったの」と心配してくれました。ここは素直に「すいませんでした」と謝りをいれて、連絡を返せば万事OKなのですが、あんな失態を晒しておいて一体どの面を下げて謝ればいいのか、という都合のよい解釈が勝り、今だに先輩に連絡は返せていません。
まぁ頭で意識して、変えれるような性格ならここまで苦労していませんし、なかなか変わるということは難しい行為です。


つまり、日常の中でもコミュニケーションに悩まされる機会は溢れかえっているのです。
これは私だけもののはずではなく、大なり小なりコミュニケーションで悩まされているということは耳にします。
心の底から思うのは、実生活のコミュニケーションだけでも精一杯なのに、これ以上気を取られる可能性が増えたり、
ツールが増えることが一般化され、半ば強制的に暗黙のルールに参加しないといけないような世風は勘弁していただきたく、誰かが声を荒らげて、反対や間違っているということを主張していく必要性を感じているのです。

そうでないと、世知辛くなる人達が増える一方で、歯止めをかける意味でも、強力なストッパーの出現を”無責任にも”期待してしまうのです。
結論:必要に求めすぎたり、複雑化しすぎると良い方向に転ばない
  1. 2014/05/18(日) 09:52:39|
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僕とアムステルダムと蒼井優。

後悔先に立たずとは良く言ったものだ。

時々にわかには信じられない日本人に会う。良い意味でも、悪い意味でも。

自分は女の子とは比較的誰とでも気にせず話しますが、男性は年が同級生~下の場合は昔から、
自分より人間的にセンスがあると思う人としか付き合わないようにしています。
が、海外になるとこれが逆転し、極めて無口で口数の少ない本来の自分に近い場面に戻ります。


ベルギーの宿での話しですが、宿で締め切りの迫った仕事をしていました。

するといきなり「長いんですか??」と主語・述語が欠落した阿呆まる出しの顔をした関西人の男が
話しかけてきた。「仕事が忙しくて、あなたと話す意志はございません。」といった雰囲気を
できる限り出したのだが、一向に通じず「5日で4都市を廻ってきた。1年の長期旅行だ」などと全く興味がない
話しを続け一向に辞める気配がない。

すると、別の宿からその男の友人らしきグ5人グループが押し寄せてきて宿の公共の調理場、
またスペースを独占。挙句の果てには数少ないコンセントまで使い始めた。
彼らの主張は宿にキッチンがなく、金がないので来たという他の宿泊客からすれば極めて迷惑な理由でした。
(後で考えてみると、日本代表戦があったのでヨーロッパ中から日本人が集まってたみたいです)

「それはマナー違反やセキュリティの問題で止めたほうが良い」ということを(同じ民族として恥ずかしいから辞めて欲しい)
阿呆グループに力説したが
「バレなきゃ大丈夫でしょ??」といった軽いノリを返してきた。
しばらくすると宿のオーナーが来て当然のように大激怒。日本人グループはフランス語はおろか、
英語も全く喋れないようで、ひたすら「ソーリー」と繰り返すのみ。

仕方がないので自分が仲介に入り、事態は収まったのですがオーナーから「お前の友人か??」
とあらぬ疑いをかけられたので、グループが英語がわからないことをいいことにオーナーの目の前で悪口を言いまくり
「友達なはずがないが、日本人として恥ずかしく思ったので、代わりに謝ります。」
と言って喫煙所に向かった。

何とも切ない気分で1人外で煙草を吸っていると、韓国人と勘違いしていた蒼井優似で少し眉をはっきりさせた色素の薄い
雰囲気のある美女(以下蒼井優)が隣に来て
「一部始終見てましたよ。さっきはカッコ良かったですよ。」と男なら一度は言われてみたい映画のような台詞を頂戴した。
捨てる神あれば拾う神ありとはこのことか。

話しを聞いていくと、自分がいつも東京に行く際に宿泊する川崎市の出身の23歳で、芸術に明るく
「行動力のない自分を動かすために海外に行くようにしている。」と大変興のある理由で旅行をしているようだ。
そこから先は久しぶりの楽しい時間で、ビールを何杯飲んだのか覚えていない。
次に自分と同じアムステルダムに向かうと言うことでFBの連絡先でも聞いておくほうが良いかと思ったが、
「FBとかやってますか??」という言う会話が滑稽なものに思えて、どの面を下げて聞けるものかと思い直し、
クールな男としては何も言わずにこのまま去るべきだと判断した。

だが、偶然とは重なるものです。
アムステルダムに到着後、ATMでキャッシングを試みた際、自分のメインのクレジットカードが機械の中に吸い込まれたまま、
出てこなくなった。銀行の職員に尋ねると「今日はもうどうにもできない。」と言われ、躍起になってもう一枚のカードを
挿入。ATMの中には、クレジットカード2枚。考えれれる上で最悪の事態が発生した。

宿に泊まるにも、金がなく、WIFIを使うにも金がない状況。気温3度くらいの外で絶望的な心持ちで、1時間途方に暮れていると
偶然蒼井優が通りかかり、事情を説明すると200ユーロを貸してくれ、更に
「別に返さなくてもいいですよ。また東京に来た時にでも、何かの形で返して下さい。」
と言い、ネイテイブ並の語学力で、カフェでスカイプで2枚のカードの停止作業を手伝ってくれるという、東京物語の原節子ばりの
良い人で泣きそうになりました。お金はすぐにネットバンキングで返却。
(自分のカードが1枚外資のためアメリカに電話する必要がありました。)

聞けば明日の昼のフライトでロンドンに行くとのこと。顔は必死に平常心を保ちつつ、心の中はの世界。すると蒼井優
「明日ゴッホ美術館に行きませんか?待ち合わせではなくて、偶然会うってシチュエーションて面白くないですか??」
顔を必死に平常心を保ちつつ、心の中はゴッホのひまわり。始めて原稿料をもらった際の5倍以上の喜びを噛み締めた。
追い風として、ゴッホとダリは人並み以上の知識がある。
年下の女の子に振り回されるとは男冥利に尽きる、などとワケのわからないことを考えながら、明日は朝イチで並ぼう、と誓い宿に到着。


だが、結果から言うとゴッホ美術館には行かなかった。正確に言うと行けなかった。

宿に到着すると、同室にスリナム人、イスラエル人、ベルギー人、スペイン人女性。
聞けばカンナビスカップの時期に合わせて、年に1度集まっているメンバーのようだ。
見た目からその道を極めたモノの雰囲気が醸しだされている。
時間はすでに12時。確実に寝とかないといけない。

甘い誘いにのってはいけない、が同時にここで日本人の評価を下げるわけにもいかない。
ベルギーでの出来事が矛盾に終わる。それがどんな道であれ極めたモノには最大限の経緯を払うのが自分のポリシー。

翌日目が醒めると、3時でした。人間切り替えが大切で、ここで中途半端なことをすると蒼井優に顔向けできない。
6日間、5人でアムスのコーヒーショップ20件を周遊、ちゃっかりカンナビスカップにも参加してきました。


ブラジルで日系ブラジル人の70歳を超える女性に話しを聞かせていただいている際のことだ。
「もう日本にいた時のことはほとんど覚えていないが、小津さんの東京物語を見ると
 自分が日本人であるということを思い出させてくれる。同時に今の日本がどうなっているのかな、とあれこれ想像するんです。」


この言葉を聞いた後、一緒に東京物語を鑑賞し不覚にも人前で涙してしまった。
ちなみに僕自身は、個性は重要でないと思うし、普段生活する中では必要ないと思っている。
だが、もし仮に個性を求めるとすれば、それは原節子の振る舞いが日本人の持つ最大の個性の形だと思う。
極めて個人的な意見だが、”意識した”外見や髪型、服装での個性ほど薄いものはない。
今回ヨーロッパを廻って良くわかった。意識するか、しないかは重要だがそこにエネルギーを
使っている分だけ、相対的なレベルは下がる。ヨーロッパの全域でも、そんなオシャレをしている人はごく僅かのように感じる。


ブラジルで日系人の方30人ほどに話しを聞けたことは、毎日適当なことを言い酒を飲みヘラヘラして生きていければいいかな、
と思っていた自分にとって、他には何も望まないレベルで頑張ろうか、と思うようになったキッカケである。

その後、好きなスポーツ、ビジネス誌、映画や連載を含め、レベルの高低は差し置いてある程度自分の望む仕事ができるようになった。
昔なら恥ずかしげもなくバカの1つ覚えのようにイチイチ〇〇で出しました、と書いていたと思うが今のレベルなら、まだ先でもいいかな。
問題はここまで長々と書き連ねた内容が全くなく、ベルギーで自分を苛つかせた内容と類似している点。


同時に、変にカッコをつけて本当にしたいことの逆ばかりしてしまうこの性格だけは本当に中学時代から全く変わらずいただけない。
今の時代だからこそ、日本人が1番持っておくべき個性を蒼井優に感じました。
変わるべきもの、変わらないでいるべきもの、その見極めはまだまだできそうにありません。














  1. 2013/11/29(金) 10:18:23|
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マルチナ・ヒンギスに見る女性の気骨。

ヒンギス

プロ、アマ。メジャー、マイナー。男女問わずスポーツが好きだ。
その点に関しては中学時代から変わらない。
サッカー、野球、ボクシング、バレー、テニス、競馬と数多のスポーツの中で、
女子スポーツに関してはテニスに1番魅せられてきた。
嬉しいニュースを本日の読売新聞で見た。9月の東レPROにマルチナ・ヒンギスが来日するようだ。

16歳で世界ランキング1位を達成した早熟の天才。
年齢を感じさせない完成された試合運び。相手を嘲笑うかのようなドロップショット。
緻密に計算された精密機械のようなスタイルは、見るものを魅了した。
しかし、パワーテニス全盛の時代を迎え、ヒンギスのプレースタイルは時代に取り残されていく。
23歳の若さで2003年に引退を表明した。

2006年に復帰し、2007年に全豪オープンで見せた従来の頭脳的なテニスに攻撃性と力強さが
加わったヒンギスを見て、当時大学生だった自分は妙に高揚したことを覚えている。
その後、コカインの陽性反応を理由に再度引退。そんなヒンギスが先日復帰を表明し、日本にやってくる。

ヒンギスのインタビュー記事を読み返すと、短くまとめられて言葉の中に彼女の気骨に触れることができる。
「勝ちたいと思う意思。これが私の強みです。」

言葉の重み。受け手として大切なことは想像力を働かせること。ヒンギスが紡ぐ言葉の数々に教えられた。
16歳から天才と呼ばれ続け、選手としては絶頂期に引退。そして2度のカムバック。想像を絶する精神力と
側で支える人達の存在があってこその復帰だろう。葛藤を乗り越えたヒンギスを生で見てみたい。ふと、そんな衝動にかられる。

根底にある、「テニスが好きで、好きでたまらない」というシンプルな発送をいかに突き詰めていくか。
年齢を重ねるごとに、「それなりに好き。まあいいか。」という妥協する場面は多くなるのだろうと日々実感している。それは対人でも、仕事でも。その中で、頑として自分を貫き通すことはしんどい。
ただ、同時に思う。「毒にも薬にもならないような人間になったら、生きていく価値を見いだせるのか。」と。
そういう意思が、人のために、大きく分けては社会貢献に繋がるのか。
そう自分が感じるようになった時、すべてを辞めて東南アジア辺りのビーチで隠居生活を送りたいと思う。

岐路に立たされた時。自分を貫くか、どうか、というシンプルな意思の強さが、1cm、1mmの差を分ける。その差が勝者と敗者を分ける。それは日常でも同様であるように思う。
伝える者としては、その1cm、1mmの背景にあるものに想像力を働かせる存在でありたいと思う。
「なぜ?」を病的なまでに追求したい。

中学時代。映画好きの友人達は、こぞってキャメロンディアスやメグ・ライアンが好きだと言っていたが、
当時からヒンギスが好きと譲らなかった。随分と変人扱いされたが、今思い返してみるとその点だけに関してはハイセンスだったと誇れる。

2度の婚約破棄、離婚が影響してか、今では言葉に丸みが帯びたように思う。
「ファッション誌と恋愛話しばかりしている、その辺のスカスカな生娘とはワケが違うのよ。」
そんな言葉が聞こえてきそうな、傲慢ささえを感じさせる態度が懐かしい。凛として毅然。”女性”アスリートとして、久しく華があるプレーヤーを見ていない気がする。シャラポアじゃだめなんです。
やっぱり、東京まで見に行こうかと、昔のNumberを読み返す。


  1. 2013/09/06(金) 00:05:17|
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AKB考察。(主に大島優子)

始めに断っておきたいのは今回極めて恣意的な内容となるということで、その点だけ先に述べさせてもらいたい。

ほんの2ヶ月前まで、AKB48についての自分の知識は、ヤングジャンプやヤングマガジン、スピリッツなどの青年誌または週刊誌で見るグラビア程度の知識で、知っているメンバーも5人程度、ぱるること島崎遥香のタレ目がいいな、と思う位で全く興味を示したことがなかった。

約1ヶ月半ほどの南米旅行中に仲が良くなった日本人でAKBヲタの人達と何人か会い、4時間にも及ぶAKB講座を
3日受講してきた。自分の好きな事柄を4時間も赤の他人に話せる、パーソナリティにも驚いたが、
更に自分を驚かせたのは、AKBファンの実態であった。詳しくは省くが、いわゆる推しメン、と呼ばれる
好きなメンバーに対する愛情に驚愕した。
人気どころで言うと、柏木由紀、島崎 遥香、小嶋陽菜、松井 玲奈などでわざわざ動画を見ながら
解説が入ったので、否が応でも詳しくなったが動画を見て面白い、と思うことは一切なかった。

そんな時、ナイナイ岡村のラジオで大島優子のことを、「プロ意識の高い本当にいい子」という話しを耳にし、
少し興味を持って動画を検索してみた。

http://www.youtube.com/watch?v=7vT8cYEgH20&list=PLC3F0E51E5B4B50B2

http://www.youtube.com/watch?v=X0elqUZGOiE

http://www.youtube.com/watch?v=MLIH3jDRnLI

見てもらえれば少しは理解してもらえるかと。


そこで感想。大島優子は非常に面白いアイドルだな、と正直ファンになってしまった。頭の回転が早く、自分が求められているものより1歩深いエンターテイメントを視聴者に提供する。行動も思想もかなり飛んでいる。
ルックス的には自分は特に惹かれるところがなく、一般的に見ても篠田麻里子や小嶋陽菜辺りと比べると美形という類には入らないように思う。ただそこがより自分にとっては魅力的に思え、一緒に飲んだら非常に楽しいだろうな、と上記の分析に添えてボソッと友人に漏らしたことがありその際に「お前もAKB好きの一員だ」などと言われて
複雑な心境。
断っておきたいのは、AKB事態には特別な感情は皆無だが、大島優子のファンではありたいと思う。
映画「苦役列車」を見て感じたが、あっちゃんこと前田敦子もほとんど見たことがなかったが、非常に画面に映える女性だな、と贔屓目なしに感じた。こういう女優さんは、実はいそうであまりいないように個人的には思うし、
AKB48のトップになる、スペシャルな部分があるからこそで、上記の2人は確かにスペシャルを感じた。だからこそ大人数を惹きつけるし、そこに対して自分の一時的な経験を拠り所にした色眼鏡ブリブリの的外れな批判は一切の意味を持たない。

ちなみに自分はおぎやはぎの小木と、バナナマンの日村が中堅芸人(くくりの正確性は別にして)でセンス的には
抜けていると思っており、大好きだ。

上記の2人の大島優子評を以下にに紹介したい。

日村:「大島優子が大好き。写真集も買って、なんか土管から出てくるところが一番かわいいのよ」(共同通信より)ちなみに日村は、大島優子の顔マネをネタにするくらいファンとのこと。

小木:「大島優子はそんな感じだな、いい子なんだよね。いい子っていうかぁ、なんか凄い話しやすい」(おぎやはぎのメガネびいきより)

番組では、大島優子をセンターの器ではないと言っていたが、それは大島優子のアイドルとしてのスキルと対応を信用しているからで、芸人として番組を面白くする、という目的の中で生まれた大島優子への信頼であったと、個人的には解釈している。ちなみに小木は吉高由里子が好きとのこと。


そんな大島優子が現在の選挙で、3位に転落しているとのことで、自分としては断腸の思いだ。非常にがっくりしている。そんな今回の内容が、大島優子が1位に返り咲くための少しでも援護射撃になればこの上なく嬉しい。
こんな面白い女の人、見れなくなるのは非常に残念なので。

最後に同じAKBつながりで、小木と小嶋陽菜の動画が面白かったので下記に。
http://www.youtube.com/watch?v=biSQBmZzVLs

http://www.youtube.com/watch?v=vIFS457LL3g





  1. 2013/05/25(土) 22:21:39|
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